私は、1950年1月6日東京で生まれました。その年に木材関係の会社に勤めていた父が転勤となり松本に来たそうです。その父が、昭和30年、今の会社の前身である江原木材を設立し製材業と木材販売を始めました。
私は、小学生の頃から製材の手伝いをしながら、木の中で育ち、木ととも成長しました。子供の頃は、積木が得意でさまざまな形の木のお城を作っては得意がっていたようです。また、大工さんも数多く出入りして、木材の加工などもしていた関係で、建物を造る仕事に自然に興味がわいて来たのではないかと思います。
松本県ケ丘高等学校卒業後当時の心境がいまだにわかりませんがなぜか畑違いの芝浦工業大学金属工学科というところに行ってしまいました。大学4年のときに、卒業論文の研究のため、当時の国鉄の技術研究所に出向したのですが、実はこのときに人生を変える場面に出会ったのです。そこは、中廊下の両側に各研究室が並んでいたのですが、左側の列は、高卒と私大卒の研究員の部屋、右側が東大や東工大などの国立有名大学を卒業した研究員がいました。
話によると右側の部屋の人たちはその後さらに出世できるのですが、左側の部屋の人たちはそこで一生下積みの人生となるという典型的な学歴社会でした。
私は、そのとき自分自身が技術を身につけ独立できる仕事をしようと考え当時夜間の専門学校があった工学院大学専修学校建築研究科へ行き入学手続きと就職の世話をお願いしたところ、その会社の社長がその学校の理事をしているということで東京の四谷にあった中堅の建設会社を紹介していただきました。
そのとき私は現場監督を5年修業したら、設計事務所に5年勤めて松本に帰って建築の仕事をしようと考えていました。当時の建設関係の中小企業は盆、正月以外はほとんど休みがありませんでしたが、親切な上司や職人さんに恵まれ、急速に仕事をおぼえていきました。
それから、5年がたち1978年4月に友人のお兄さんが某大手の設計事務所から独立して設計事務所を立ち上げるということでおしかけて入れてもらいました。大手の設計事務所の下請も多かったので、第1次湾岸戦争で破壊された、バクダット放送局や、青山にある子供の城という超高層ビルなどの設計にも係らせていただき大変勉強になりました。
1983年4月、松本へ帰り江原木材に入社し専務として主に木造住宅の新築・増改築・リフォームを始めました。
元々、無口で営業が苦手な私でしたが、友人や知人の方の紹介などがあり何とか仕事をいただけるようになりました。そして父が引退したいということで1998年4月より(株)エバラの社長に就任しました。
1985年頃から高断熱高気密住宅の研究をはじめ現在は、「健康で暖かい快適な住まい」をキャッチフレーズに「家族が仲良く快適に暮らせる住まいづくり」をテーマとして新築からリフォームまで、お客様のために快適で住みやすい住宅づくりを心がけています。
つまり私の会社は建物を造っているのではなく、住まいを創っている会社と考えていただければよいと思います。
今後もこのテーマを忘れずにあなた様の「夢、希望、喜び、幸せ」を創るお手伝いをしていきたいと考えております。
私の会社は、「家族が仲良く快適に暮らせる住まいづくり」をテーマにお客様の立場に立った住まい作りを続けています。「家族が仲良く快適に暮らせる住まいづくり」とは、それぞれの人の顔や指紋が違うように、住まいも住む人の生活観や、環境によって変わって当然です。私は、お客様の希望や夢を形にしているわけですから、それぞれのお客様にあった住まいを提案しています。
したがって、自由設計が基本の当社には企画住宅はありませんし、図面集もありません。但し、OBのお客様の図面や写真は保管してありますから、参考のためにお見せすることは出来ます。ですから大手メーカーにないきめ細かなご提案、サービスを提供できるわけです。
OBのお客様からのお喜びの声を掲載しています。
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